昂立新日语•沪江网•卡西欧全程支持 “荣鼎杯”全国青年日语翻译(口译)大赛
日译中比赛原文
最近ではニューヨークのソーホーに、絵葉書専門店というのができて、使用済みの絵葉書ばかりを並べているが、これが飛ぶような売れ行きで、一連のアンチック・ブームの目玉商品になっているという話であった。人は、絵葉書というアンチックを買うというよりは「他人の過去を買う」ということに、楽しみを見出しているのであろう。
ハートレーの言葉ではないが、「あらゆる過去は物語に変わる」ので、他人の過去の固有性の方が、複製された小説よりも面白いということになるのかもしれない。
ところで、こうした絵葉書にも贋物(実在の人物から実在の人物に宛てて出されたものではないもの)がずいぶんあると聞いて、私は興味を抱いた。過去の作りかえ、記憶の修正といったことは、少しばかりの後ろめたさを伴った楽しみだからである。
そこで、私もまた贋物の絵葉書作りあそびをしてみようという気になった。取り掛かったのが七七年の二月、初めに黒白写真を数十枚撮り、脱色してから人工着色した。古いペン先を探し、実在しなかった女宛の恋文を書き、住所を書き、昭和はじめの古切手を貼った。
(横浜―上海)(上海―横浜)の消印スタンプをハンコ屋に作ってもらって、切手の上に捺し、さらに出来上がった絵葉書を日光にさらして変色させた。シミ、ススといったものをシルクスクリーンでローラし、完成したのを見ると、われながらうっとりするような出来栄えとなった。
たとえば昭和四年七月に、上海にいる私が横浜の康子という女へ当てた恋文という設定である。実際の私は、昭和十一年生まれなので、そうした「事実」はあるわけはないのだが、こうしたもう一つの過去を現実化して考えると、もう一人の私は、すでに七十四歳だということになる。だが、そうした記憶の迷路へ入って行く楽しみもまた、私自身の体験ではなかったと言い切れるものだろうか?
私は、若くして死んだ詩人のことばを思い出していた。 「実際に起こらなかったことも、歴史のうちである」と。
(寺山修司『青蛾館』所収「にせ絵葉書」による) |